憧れの父親像は、自分の父親ではない。
もちろん父を尊敬をしているし、心から感謝をしている。
亡くなった時はたくさんの後悔もしたし、優しかった親父も厳しかった親父もたくさん思い出される。
でもぼくの憧れの父親像ではなかった。
父の日の今日、ぼくの子ども達が「フルーツカスタードタルト&さくらんぼ」をプレゼントしてくれた。
ぼくが憧れる父親像、
それは、家族がいつも笑顔でいられるような家庭を作れる父親。
彼らが小さいころはいろいろあったけど、今日2人が、ぼくが成りたいと思っている「憧れの父
親像」にちょっとだけさせてくれた気がした。
ぼくはそこで、す〜っと思い出すように、あることを感じた。
もしかすると、僕の父も、ぼくが今日感じたことを思いたがっていたかもしれない、と。
だとすると「憧れの父親像」にさせてあげられなかったのは、ぼくなのかもしれないのか。
本当は、もっともっとぼくら兄弟から憧れられる、尊敬される父親になりたいと思っていたのな
ら、今ぼくは再びとてつもなく大きな後悔の念に駆られる。
振り返れば、
とても不器用だった親父。
母ともよく喧嘩をしてたし、
口べたで、どちらかというと寡黙だった。
ぼくみたいに図々しくなかった親父もあたりまえだが、男。
もちろんぼくと同じく、憧れの父親になりたかったはず、違いない。
今夜、
偉そうに、父親気取りをしているぼくに、脳天からガツン!っと一発くらった気がした。
気取ってるつもりはないけど、すべて見通されている気がした。
父の日は父親に感謝する日。
妻の父に感謝を忘れず、ぼくの父亡き今は、代わりに母に思いを移した。
夕食は母と一緒に、ぼくが子供のころ母が良く作ってくれた Mother’s特製オムレツ をみんなで食べた。
ぼくの父の日は、ぼくの日ではなく、ぼくの父親の日。
父親であるぼくが、自らを認める日が来るかわからないが、
ぼくが思う「憧れの父親像」へピントを合わせ続けて行こう。
投稿者: 2014年6月15日|パーマリンク
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