嬉しいとき、幸せを感じるとき、ぼくはいつもその裏側には見えない支えがあると信じている。

 
心の底から嬉しさを感じたとき、幸せを感じるたき、ぼくはいつもその裏側には見えない支えがあるのでは、と感じる。
体中からジワッと涌き出るほどの喜びはすぐに幸せの安堵感に変わり、ぼくの心の中を浸々に濡らす。
大人になってしまったのか、両手を万歳するほどの喜びの表現方法はとても少なくなったが、こと思うボリュームがずっと一緒なのは、表し方がかわっただけかもしれない。
 
心身ともに健康で、
余るものはないけれど、
それ不足するわけでもなく、
家族に普通の生活をさせてあげられてることも、
そして、いつも笑顔でいられることができるのも、
すべてはお客さまがいてくれているおかげです。
ありがとうございます。
 
そんなステキな出逢いをさせてくれて、
そんな幸せ感をいっぱい抱かせてくれて、
スタッフ、家族、親や兄弟、皆が幸せです。
 
 
 
夏 お盆さま
 
今日、迎え盆に行った。
母はいつもお墓に向かってお礼を言う、弟もぼくもそれに続く、
前に進むことを許してくれていることに感謝
ぼくの代わりに、
みんなみんな、苦しいことを担っていてくれていたんじゃないのかと感じる。
若くして途切れた「普通」という生き方の先には、ぼくにはわからないたくさんの思いがあったと思う。
 
この普通の生活の裏側には見えない支えがあるのではないか。
日焼けした息子をとなりに立たせて、今日もまた、瞼を閉じる。
先代を思い、見ることのできない過去を感じてみると、その頃の夏が見える気がした。
 
 
 
 
 
 
160813
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
投稿者: hayashi 日時: パーマリンク

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