たぶん自分が聴き逃しただけなのだろうが、NHK FM のクラシックカフェで、しばらくモーツァルトがかかってないなと思っていた矢先、今朝radikoをつけたとたんにMozart Piano Concerto No.27が鳴りだした。
春、
『3月はこの曲からスタートするんだぁ、』と、なんとなく何かを納得して、はやく第三楽章にならないかな〜と鼻歌まじりに気持ち良く髭を剃っていた。
しかしその瞬間、そういえば先日はベートーベンの田園を夜中にかけて春を一足先に取り入れたことを思い出したけど、今朝の方が3月始まりっぽい!と考えを改め、調子いいけどまぁいいかと自分を納得させた。
そしたらその次の曲はもっとステキで、K596「春へのあこがれ」が。
この曲の譜には「楽しげに」という指示があるらしく、それを知ったぼくは『そうなんだぁ、うんうん』とまたまた納得し、更に調子のいいぼくは殊更に春を感じてしまった。
芽吹く春、
暖かな日差しを喜ぶ生命在るものは、当たり前の時の流れを感じるだけでなく、その時しか得ることのできない一瞬を敬うような気持ちになる気がする。
出逢いはいつでも一瞬のできごとだったと感じる。
しかしその出逢いが人生を変え、その一瞬を一生敬う気持ちになることに尊さをもが生まれる。
僕らの仕事は常にステキな出逢いを願い続けなければならない故に、その出逢いに当たり前を感じることなく、一本の電話、一本のメールから始まる出逢いに心底感謝しそれを持ち続ける。
出逢いに感謝なのだ。
日曜日にsophieの散歩で公園に行ったとき、小さい子供を連れた家族が春の遊び方になっていた。
その日はぼくも上着を一枚脱いでアディダスのトラックジャケットにした。
片耳だけイヤホンをつっこんであのモーツァルトを聴きながら、もう片方の耳で春の足音を聴きながら鼻歌まじりでいつものコースを一周した。