今日はあの日を思いだそう。
あの日、ぼくはとても楽しみにしていた千葉県柏市の新築注文住宅の完成お引き渡し日だった。
それは今日のように良く晴れた暖かな日で朝から陽が眩しく絶好の祝い日和だった。
前日、この日のために洗車しておいたピカピカの車にスタッフと乗り込み意気揚々と現場に向かったぼくらは途中、高速道路は順調、車内はお引き渡しのワクワク、カーラジオから流れるハッピーな曲とが相まってとても気分が良かった。
高速道路を降りて大きな国道をしばらく走り、交差点を先頭で信号待ちしていた時、その時がきた。
「ん?揺らしてる?」と後ろを振り返った途端、ガタガタガタガタと車を揺さぶられ「あ、これ大地震だ!」とすぐにわかった。
青色に替わった信号機のポールも揺さぶられ、それまで停車していた車たちは全く動くことができなかった。
瞬間カーラジオから一転、緊急地震速報を繰り返すアナウンサーの緊迫した声。その様子からただ事でないことがわかった。
揺れが少し収まったところで車を左側に寄せて停まり、この先電話がつながらなくなるだろうとすぐに安否の確認と、的確じゃなかったかもしれないけど安全のための指示を始めた。
ぼくは足の悪い母が気になりすぐ電話をしたら、「私より仕事の人たちを心配しなさい、」って怒られて、それからすぐに現在進行中のお客さまと現場の状況と、ウチのスタッフと職人さんとその家族皆の安否を確認するよう指示をした。
当時うちの会社は高層マンションの2階のテナントに事務所を構えていたのだが、高層マンションのゆ〜らゆ〜らとした特有の揺れがとても怖いです、とのスタッフの言葉が未体験のぼくの不安を増長させた。
そんな状況下にもかかわらず、お引き渡しの現地でお客さまは終始笑顔をくださった。
途中、大きな余震が何度も何度も来たにもかかわらず優しい笑顔をくださった。
当時はまだ設計チーフではなかった現チーフの小笠原は、
「私たちの建てた家だから絶対に大丈夫。絶対大丈夫。」と何度も言った。
吹き抜けを上がる二点留めのモダンな鉄骨階段や、そこに陽を差し込ませるための大きな窓のガラスでさえ、大丈夫。大丈夫だから。と言っているように感じた。
その後、お引き渡しは滞りなく無事に終わり、今は大きくなっただろう小さなお子さまとご夫妻の笑顔と共に家路についた。
あの日ぼくは命を守る仕事をしていることの認識を再度叩きつけられた。
笑顔をくださったお客さまも内心はとても不安だっただろう。だってたった今完成したばかりの大切な家が大震災にあっていて不安でないはずがない。
しかし小笠原とぼくの言葉を信じてくださり、エムズデザインの技術を信頼してくださった。
感謝だ。
感謝としか言いようがない。ありがとうございます。
ぼくはその後すぐ、所属している建築士会の耐震相談員の活動や、うちで設計する住宅の耐震設計強度などの見直しを図った。
家では子供と一緒にテレビにかじりつき、放映される津波の映像から一瞬で流されていく家々を見て体のチカラが抜けていった感覚を覚えている。
ぼくも忘れない。
今朝、いつものラジオ局もそう語っていた。
10年経った今日、またしっかりと思い出そう。
単なる過去の出来事にすることなく語り継ぐのだ。
だから忘れない。
ぼくらは人の命を預かる仕事をしている。
幸せな笑顔もいっぱいつくりだすけど、ビビりなぼくは常に命を守るほうが大切、だって技術屋だから。
311
大好きな東北を応援してる。
日本人は一生忘れてはならない大切な日。
*いつか行った美しい松島の風景
投稿者: 2021年3月11日|パーマリンク
日時: