弥生の月のcertificate

娘がすべての学業を終えて世に羽ばたいていく。
一生学びの道が途絶えることはあり得ぬことと、今もう既にこの歳でも理解しているだろうけど、それでもこの弥生の月、今日まで歩んだ十数年の学業生活卒業という節目を持って自らを褒めてあげてほしい。
 
物心つかぬであろう幼き日から彼女は、頼りなき父を知ってか知らぬか、備え持った繊細で敏感な感覚から、自分はしっかりしなくちゃ!という、いわゆるお姉さんらしさを身に付けていた。
ありがちな子供故の我が儘を言ったり変に甘えることをせず、親を困らせる事などもほとんど無く、この子本当にぼくの子か?と笑い疑った日もあった。
首が座るか座らぬかの生まれて間もない弟をお人形さんのように抱っこしては「カワイイカワイイ」と揺すり、私はママよ、と言わんばかりにお母さんに成りきってみたり、自分が喜んだり笑ったりすることで周りの人たちはみんな笑顔になる、ということを察知してか、ぼくら夫婦の喧嘩が始まるとすぐ横に来てちょこんと首を傾げ、無理やりつくったニコニコを見せつけて「美味しい顔〜(*^_^*)」と笑顔を誘った。
 
そんな春咲く花のような笑顔の幼少期を超えた小学生のある日、少しだけ大きな病を患った。
仕事から帰ったぼくは妻からその言葉を聞き愕然とした。
テレビで見るような専門病院はとても冷ややかで、静まりかえった廊下から時折聞こえる小児病棟の子の声が娘の声とダブってぼくの頭の中は真っ白になり、その時初めて心の底からぼくの命と引き換えてほしいと願った。
妻の親は、どうして我が孫がと崩れ、遠い地に住む自分達を悔やみ、それでも居ても立っても居られずに人伝いに回復への道を探り、とうとう神々にまで祈りを捧げてくれた。
 
時は経ち、無事中学に入学した彼女は、志望校などというさぞかし自分が行きたくて決めたような目標に向かって進んではくれていたが、実際は、自分は本当にそこが良いのか、などと判断できぬ歳かも知れないのに、しかしこれも親の願い、と親を思う幼心が彼女のすべてを突き動かしてくれていたのではないだろうか。
それでも心身共にお姉さんになっていく娘は、ある冬の始まりにぼくの小さな夢を叶えてくれた。
”悲愴 第二楽章”
ピアノ発表会でこの曲を演奏してくれた彼女は、ぼくのベートーベン好きを知るからこの曲を選んでくれたのだろうか、はたまた自らもこの曲の何かを感じたからなのだろうか。
奏でる旋律はホールを隅々まで満たすように流れ、ぼくは今まで感じたことのない豊かな色の空気に包まれていった。
そしてその時も今日のように彼女のそれまでの様々な出来事がぼくの頭の中を回想して行った。
短くも美しい時間だった。
 
我が儘を言わない娘だからこそ、叶えてあげたい願いがあった。
それは、犬を飼うこと。
幼き日からインコを飼っていて、それはぼくら家族がアパート住まいで動物が飼えなかったから。
それでもおしゃべりインコや金魚すくいの金魚、ついでにドジョウまで飼っていて、でもやっぱり犬は諦めきれなくて、、、
 
結局その願いを叶えることができたのは、ぼくが自分の家を建てたときだった。
娘はどんな犬が良いのかとペットショップを何度も巡り、図書館で犬図鑑を借り、あげくに犬占い、などという面白い選択肢まで出してきて、それをぼくに何度も見せて説得を続けた。
そうしてとある日、その出逢いを求め家族皆でドライブに出た。
 
愛犬は文字通り、林家の”愛の犬”になり、家族皆に愛を配り、皆はその愛を返した。
人がペットを愛でること、いや本当は、ペットに人が癒やしてもらうことがそのペットの役割なのではないだろうか。
娘の成長に彼(犬)は欠かせなくなり、その後も様々な場面でセラピーしてもらっていた。
大学受験の時もそう。
心から入りたいと願う大学を見つけたが力及ばず、その時も彼はぼくら親の代わりになって彼女を救い助けてくれた。
その後彼女はその願いに勝るとも劣らない歴史ある大学でキャンパスライフを送ることになったのだが、今度はこのコロナ渦になりすべては一変、我慢を強いられることとなった。
しかしそんな中でも彼女はその大学で自分の居場所を見つけ、 輝きをどんどん増していった。
世の中がテレワーク化されるとそこに馴染むように、そしてそれを思い切り楽しむようになっていった。
そんな愛犬を癒やし、そして癒やされ、その歴史ある校舎で何かが見えたのか、大学卒業を意識し始めた頃、娘は就職活動ではなく自らで見つけたその上の学業への道を一人歩み始めた。
そのチャレンジを親は、いや、少なくてもぼくは何も知らず、しかし今度こそ自分で行きたいところ、やりたいことをGETする!と奮闘し、見事にそれを得ることができた。
初めてやりたいことを見つけ、自らの道を切り開き、その上で学びを続けていく娘の姿は今までより増して大変そうでもあったが、とても幸せそうなのが毎日の顔色でわかった。
親が敷いたレールではなく、親の願いでもない、彼女自身が一人で見つけた学びの道、
そこを歩む姿は勇ましく輝いて見えた。
 
 
 
そんな成長をさせてくれた学び舎を今日卒業した。
そしてこれまた良きご縁を頂くことができ我が娘は世に出ていく。
 
親は誰もが子を思い、その思いを子に託す、
しかし子の人生は、親のエゴなど到底いらないし、通用もしない世界、
ぼくはまだ子離れなどできはしないけど、もう既に一人の大人としての彼女を見ると少しだけ清々しくなる。
 
だからぼくも一歩進もう。
ぼくが娘に願うこと、
それはいつも健康で幸せでいるということ。
幼き日、病を患ったあの数年のように、常に美しい花が咲き続けること難しいことかもしれないけれど、毎日少しでも楽しさがある生活をしてほしい。
そして天真爛漫、ニコニコ笑顔のそのままで生きてほしい。
 
 
 
あなたが生まれてくれたことに心から感謝します。
 
ピアノの上に飾られていたcertificate
ぼくは涙で滲んで見えなかった。
 
 
 
 
 
 
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投稿者: hayashi 日時: パーマリンク

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