この仕事に就けたことを神さまに感謝している。
もうすぐ35年、
しかしあの若き日に思い描いた自分にはほど遠い道のりをひたすら前を向きトボトボ歩く。
いつまで経っても未熟で稚拙な文書しか綴れず、何を言っているのかわからないblogを始め、話す言葉ですら上手く伝えられない。
だから自分をネガティブに捉えることの反省文なら永遠に書き続けられるし、それにずっと苛まれている感が否めない、というか、苛まれている。
自分自身の情けなさを心底知ってる張本人だから、自分に足りないことのリストなら、エクセルのセルが真っ黒になるほど書けるだろうし、ダメダメ男選手権なるものがあったなら、ぼくは優勝間違いなしだろうな。
普段はそんな生活をしているぼくの胸の中に今日、今まで気がつかなかったほのかな灯りがともった。
ふぅーと息を吹きかければたちまち消えてしまいそうなその小さくて美しい灯りは、そんなぼくの気持ちを優しく温めてくれた。
とある本で、人は相手のことを見るように、自分のことを自分で見ているということを読み知った。
ぼくが他人を見るように、ぼくがぼく自身を見ている、
そんな世界…
そして、他人にはぼくの世界がどんな風に見えているのだろうと…
こんなことは思ったこともなく、もちろん願ったことも、ましてや求めたことなど一度も無いことだった。
それは味わったことのない、なんというか、、、少しドキッとして、ちょっと信じられなくて、なんか落ち着きなくドギマギしてしまいそうな、、、
読みかけた小説の主人公が思いがけず嬉しい展開になって、うぅ、このまま進んでほしい、と願うときの感じというか、、、
耳心地がすこぶる良くて、一聴するとポップでノリがいい曲なのに、ん?でもワルツっぽい?
と数えてみたら四分の三拍子で、どうりでドラマチックだな、と感じたときみたいというか、、、
なんというか、複雑だけど、心地よい、、、でも両唇は正直で、くっと少し強めに噛みしめてその話を受け止めていた。
自信があるわけじゃない、
ぼくは時に自信があるように見えてしまうようだけど、それは本当じゃない。
周りから見たその”自信”のようなものは、きっと”覚悟”なんだ。
人として、子供の親として、そしてエムズデザインの一人として、その任務がいつも言葉、態度に出ているのかもしれない。
今までの学びと経験で得てきた、設計・デザイン・施工、の技術を信じていること
人や自然との関わりにおいて、愛と調和を最も大切にしていること
親からはセンスを学び、旅からは世界観を学んだ
良きモノだけに触れ、悪しきから訓えを得てきたつもり
そんなぼくを見ていてくれる人がいたのだ、
本来ならそんな事実を知ることなどできるはずはなかった…
この勇気ある振る舞いを知るまでは。
ずっと同じ道を歩んでいたことが嬉しかった
狭い業界とはいえ、お互い建築士、
その自らの思いを周囲に伝え、それを突き通してくれた姿にぼくは心を打たれた。
20年間、
そのすべての変化を見届けてくださって、それを受け止めてくださっていたあなたの姿はどんなだったのだろう。
長い長い道のりを経た今、今日、知った。
だが林、お前うぬぼれるでない、
そう、ぼくはまだ半人前、自らを誇ることなど100年早い。
ならば、何を学ぶのか…
何をではない、常にだ。常に学ぶこと。
何を貫くのか…
信じていることを貫く、ただそれだけ。
よし、
今日もまた今までと寸分変わらず足元ぶれずに、襟を正し未来をみる。